リサーチャーのサトルです。好きな言葉は「真実は一つ、解釈は無限」
目次
- 1 世界の最も幽霊が出るホテルで宿泊体験
- 2 スタンレー・ホテル(コロラド州)
- 3 ホテル・デル・コロナ(サンディエゴ)
- 4 ハリウッド・ルーズベルト(ロサンゼルス)
- 5 バーボン・オーリンズ・ホテル(ニューオーリンズ)
- 6 メンガー・ホテル(サンアントニオ)
- 7 ドリスキル(オースティン)
- 8 トーマス・ハウス・ホテル(テネシー州)
- 9 ホテル・アレックス・ジョンソン(サウスダコタ州)
- 10 ロード・バルティモア・ホテル(ボルチモア)
- 11 ホテル・コングレス(アリゾナ州)
- 12 ホテル・モンテレオーネ(ニューオーリンズ)
- 13 プフィスター・ホテル(ミルウォーキー)
- 14 コンコード・コロニアル・イン(マサチューセッツ州)
- 15 レッド・ライオン・イン(マサチューセッツ州)
- 16 エミリー・モーガン・ホテル(サンアントニオ)
- 17 オムニ・ショアハム・ホテル(ワシントンD.C.)
- 18 1886 クレセント・ホテル(アーカンソー州)
- 19 シャトー・マーモント(ウエスト・ハリウッド)
- 20 ランガム・ホテル(ロンドン)
- 21 ホテル・モンテ・ビスタ(アリゾナ州)
- 22 コングレス・プラザ・ホテル(シカゴ)
- 23 チリンガム城(イギリス)
- 24 ユニオン・ステーション・ホテル(ナッシュビル)
- 25 メイフラワー・ホテル(ワシントンD.C.)
- 26 ブラウン・パレス・ホテル(デンバー)
- 27 まとめ
世界の最も幽霊が出るホテルで宿泊体験
歴史あるホテルには、時として人々の想像を超えた物語が宿っています。世界中には、単なる宿泊施設を超えて、不可思議な現象や心霊体験の舞台となってきた由緒あるホテルが存在します。これらのホテルは、その建築の優雅さや豪華な設備だけでなく、数々の怪奇現象や幽霊の目撃談で知られ、独特の魅力を放っています。
本記事では、北米を中心に、イギリスにまで及ぶ25の「最も幽霊が出る」とされるホテルを紹介します。コロラド州の歴史的なスタンレーホテルから、サンディエゴの象徴的な存在であるホテル・デル・コロナド、ハリウッドの黄金期を今に伝えるルーズベルトホテル、そしてニューオーリンズの魅惑的なブルボン・オーリンズホテルまで、それぞれが独自の怪談と歴史を持っています。
これらのホテルの多くは、19世紀から20世紀初頭に建設され、その華やかな歴史の中で、悲劇的な事件や謎めいた出来事を経験してきました。優雅な客室、豪華なボールルーム、歴史的な廊下には、かつてそこで過ごした人々の物語が刻まれ、時として現代の宿泊客たちに不思議な形で姿を現すと言われています。
特筆すべきは、これらのホテルが単なる心霊スポットではなく、現在も一流のホテルとして営業を続けていることです。多くの施設は、その歴史的価値と建築美、そして高級ホテルとしてのサービスを維持しながら、独特の雰囲気や伝説を観光の魅力として活かしています。
本記事では、各ホテルにまつわる最も印象的な怪談、歴史的背景、そして現代の宿泊客たちの体験談を詳しく紹介していきます。これらの物語は、単なる怖い話を超えて、各地域の歴史や文化、そして人々の記憶が織りなす豊かな物語として、私たちを魅了してやまないのです。
覚悟のある方々には、これら25のホテルでの宿泊をお勧めします。きっと忘れられない、そして場合によっては少し不気味な、特別な体験となることでしょう。
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スタンレー・ホテル(コロラド州)
コロラド州エステスパークに位置するスタンリーホテル(The Stanley Hotel)は、壮大な景観と豪華な雰囲気の中に潜む、背筋も凍るような歴史で知られています。
1909年に建設されたこのホテルは、単なる宿泊施設ではなく、スティーブン・キングの小説「シャイニング」の着想源となった場所であり、数え切れないほどの超常現象の報告で名を馳せる、真のゴーストハンターにとっての聖地です。
ホテルの幽霊譚は、その歴史と深く絡み合っています。創設者であるフリーラン・オスカー・スタンリーと妻フローラの霊が、今もなおホテル内を彷徨っていると伝えられています。フローラの幽霊はコンサートホールでピアノを弾き、フリーランはビリヤードルームに姿を現すと言われています。
最も有名な幽霊譚の一つは、1911年の爆発事故で負傷した元家政婦エリザベス・ウィルソンにまつわるものです。217号室に棲むと言われる彼女の霊は、キング自身が悪夢にうなされた原因とも言われ、小説『シャイニング』の恐ろしい雰囲気に大きな影響を与えました。
ホテルの4階は、特に超常現象の活動が活発な場所として知られています。廊下を走り回る子供たちの笑い声や足音、そして突然現れる子供たちの姿など、宿泊客は数々の不可解な現象を報告しています。
幽霊が出ると噂される部屋は他にもあります。428号室では、ベッドの足元に立つカウボーイの幽霊が目撃されています。宿泊客たちは、夜中に部屋の中を歩き回る足音や、物を動かす音、そして説明のつかない寒気を感じると報告しています。
スタンリーホテルは、その不気味な評判を積極的に受け入れています。ゴーストツアーやハロウィーンイベントなどを開催し、宿泊客にスリリングな体験を提供しています。数々の超常現象番組で取り上げられたことも、ホテルの知名度向上に貢献しています。
しかし、スタンリーホテルは単なる「幽霊屋敷」ではありません。近代的な設備を備えた高級ホテルであり、宿泊客は快適な滞在を楽しむことができます。幽霊の存在を信じない人にとっても、歴史と自然に囲まれた美しいホテルとして、魅力的な滞在先となるでしょう。
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ホテル・デル・コロナ(サンディエゴ)
カリフォルニア州サンディエゴの海岸線に佇むホテル・デル・コロナド(Hotel del Coronado)は、1888年の開業以来、その壮麗なビクトリア朝建築と華やかな歴史で、世界中の人々を魅了してきました。しかし、この美しいホテルには、もう一つの顔があります。それは、幽霊が出ると噂される、ミステリアスな側面です。
ホテル・デル・コロナドで最も有名な幽霊は、間違いなくケイト・モーガンです。1892年、若い女性ケイト・モーガンは、謎めいた状況下でホテルの一室で命を落としました。それ以来、彼女の霊がホテル内を彷徨っているという報告が絶えません。宿泊客たちは、3327号室(かつての302号室)で、奇妙な物音、冷たい空気、そして幽霊のような人影を目撃したと証言しています。
ケイト・モーガンの幽霊以外にも、ホテルには様々な超常現象が報告されています。明滅する照明、ひとりでに動く物体、そして説明のつかない寒気など、宿泊客たちは奇妙な体験をしています。ホテルのギフトショップでは、棚から商品が落ちる現象が頻繁に起こり、従業員を悩ませています。
これらの不可解な現象は、多くの超常現象研究者たちの注目を集めてきました。彼らは、様々な機器を用いてホテル内を調査し、幽霊の存在を証明しようと試みています。ホテル・デル・コロナドは、数々の超常現象番組でも取り上げられ、そのミステリアスな魅力はさらに増しています。
しかし、ホテル・デル・コロナドは、単なる「幽霊ホテル」ではありません。その歴史的な意義と建築美は、多くの人々を惹きつけています。19世紀後半に建設されたこのホテルは、当時としては最新鋭の設備を備え、富裕層の社交場として栄えました。
現在でも、ホテル・デル・コロナドは、高級リゾートホテルとして、世界中から観光客を集めています。その一方で、ホテルは幽霊伝説を積極的に活用し、ゴーストツアーなどを開催することで、新たな魅力を生み出しています。
ホテル・デル・コロナドは、歴史、建築、そして超常現象が織りなす、 ユニークな魅力を持つホテルです。美しい景色、豪華な客室、そしてミステリアスな雰囲気の中で、宿泊客は忘れられない体験をすることができるでしょう。
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ハリウッド・ルーズベルト(ロサンゼルス)
薄暗い闇に包まれたハリウッドの中心で、壮麗な姿を見せるザ・ハリウッド・ルーズベルトホテル(The Hollywood Roosevelt)。1927年の開業以来、華やかなハリウッドの歴史と共に、数々の著名人がその扉をくぐってきた。ダグラス・フェアバンクスやメアリー・ピックフォードといった往年のスターたちが名を連ねる創業者は、まさにハリウッド黄金期の象徴と言えるでしょう。
しかし、このホテルは華やかな歴史の裏に、もう一つの顔を持つ。それは、ハリウッドで最も幽霊が出るホテルとしての評判です。
マリリン・モンローは、生前このホテルで2年間を過ごしました。その幽霊は、かつて彼女が暮らしたスイート1200号室や、ホテル内の鏡に映る姿として目撃されているという。 モンローの幽霊は、ホテルの象徴的な存在となり、多くの宿泊客が彼女の気配を感じようと訪れます。
また、映画「地上より永遠に」の撮影中に928号室に滞在したモンゴメリー・クリフトも、このホテルに留まっているようです。宿泊客は、彼の幽霊が廊下を歩き回り、セリフをリハーサルする姿を目撃したり、トランペットの演奏を耳にしたりすると言います。
さらに、ホテルには他にも多くの幽霊がいると噂されています。青いドレスを着た少女や、タキシード姿の男性など、その姿は様々です。 彼らの存在は、ホテルの歴史にさらなる深みを与え、宿泊客に忘れられない体験を提供しています。
ホテルは、幽霊が出るという評判を逆手に取り、ゴーストツアーや超常現象をテーマにしたイベントを開催しています。こうしたイベントは、ハリウッドの歴史と超常現象の両方に興味を持つ人々にとって、魅力的なものとなっています。
しかし、ザ・ハリウッド・ルーズベルトホテルは、単なる幽霊屋敷ではありません。スパニッシュコロニアル様式の美しい建物、デイヴィッド・ホックニーの壁画で有名なプール、そして有名シェフが腕を振るうレストランなど、豪華な設備とサービスを誇ります。
幽霊の噂と高級ホテルとしての魅力が融合したザ・ハリウッド・ルーズベルトホテルは、ハリウッドの歴史と超常現象の神秘に触れられる、唯一無二の場所と言えるでしょう。
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バーボン・オーリンズ・ホテル(ニューオーリンズ)
ニューオーリンズの賑やかなフレンチ・クオーターの中心に佇むバーボン・オーリンズ・ホテル(Bourbon Orleans Hotel)。1815年にオーリンズ・ボールルーム・アンド・シアターとして華々しく幕を開けました。
その後、火災による再建、修道院への転用を経て、1964年に現在の姿となりました。その長い歴史の中で、社交の場として、また信仰の場として、多くの人々が行き交い、様々なドラマが生まれました。そして、それらの記憶は、今もなおホテルに残されているのかもしれません。
バーボン・オーリンズ・ホテルは、ニューオーリンズで最も幽霊が出るホテルの一つとして知られています。その幽霊の種類は実に様々で、少なくとも20種類もの霊が目撃されていると言います。
かつて修道院だった時代に黄熱病で命を落とした子供たちや修道女、南北戦争の兵士、そしてボールルームで華麗に踊る女性の幽霊など、彼らの存在はホテルの歴史と深く結びついています。
中でも特に有名なのは、644号室で自殺したとされる修道女の霊です。宿泊客は、この部屋から悲鳴が聞こえてきたり、何者かに服を引っ張られる感覚を覚えたりするそうです。
また、6階ではボールを追いかける少女の幽霊が目撃されることが多く、ボールルームではシャンデリアの下で踊る女性の幽霊や、揺れるカーテンが目撃されています。
これらの心霊現象は、USAトゥデイ紙の「全米で最も幽霊が出るホテル トップ10」にランクインするほど有名で、ホテルは毎週木曜の夜に独自の心霊ツアーを開催しています。
しかし、バーボン・オーリンズ・ホテルの魅力は、その心霊現象だけではありません。フレンチ・クオーターの中心という絶好のロケーションに、218室の客室とスイートルーム、そしてバーやレストラン、イベントスペースなど、充実した設備を備えています。
歴史と文化が色濃く残るニューオーリンズで、幽霊の噂と高級ホテルとしての魅力を併せ持つバーボン・オーリンズ・ホテルは、宿泊客に忘れられない体験を提供してくれるでしょう。
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メンガー・ホテル(サンアントニオ)
サンアントニオの心臓部、アラモのすぐ隣に堂々と立つメンガーホテル(The Menger Hotel)。1859年、アラモの戦いのわずか23年後という歴史的な時期に開業したこのホテルは、ドイツからの移民であるウィリアム・メンガーとメアリー・メンガー夫妻の夢と情熱の結晶でした。
開業当初は2階建て50室のこじんまりとしたホテルでしたが、時代と共に増築と改修を重ね、ビクトリア朝とルネサンス復興様式が融合した壮麗な姿へと変貌を遂げました。1909年には、著名な建築家アルフレッド・ジャイルズの手により、ネオクラシック様式の装飾が加えられ、さらに華やかさを増しました。
メンガーホテルは、単なる宿泊施設ではありませんでした。多くの歴史的瞬間の舞台となり、数々の著名人がその足跡を残しています。
ユリシーズ・グラント、ウィリアム・マッキンリー、セオドア・ルーズベルトといった歴代大統領をはじめ、南北戦争の英雄ロバート・E・リー、野球界の伝説ベーブ・ルース、そして銀幕のスター、メイ・ウェストなど、錚々たる顔ぶれが名を連ねています。
中でも有名なエピソードは、1898年にセオドア・ルーズベルトが、このホテルで義勇騎兵隊「ラフライダース」の隊員を募集したことです。
当時、ホテル内にあったメンガー・バーは、英国の上院クラブのバーを模した格式高い場所で、ルーズベルトとラフライダースの熱き想いが交わされた歴史的な空間として、今も多くの人々を魅了しています。
しかし、メンガーホテルには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。少なくとも20種類もの幽霊が目撃されていると言われており、その中には、ホテルで亡くなったとされる客室係サリー・ホワイト、キングランチの創設者リチャード・キング大尉、そしてバッファローの服を着た謎の男など、様々な幽霊譚が語り継がれています。
幽霊の噂は、ホテルの歴史に彩りを添え、多くの歴史ファンや超常現象愛好家を引きつけています。ホテル自身も、その歴史と幽霊伝説を積極的にアピールし、ゴーストツアーを開催するなど、独自の文化を築いています。
現在も316室の客室とスイートルームを擁する高級ホテルとして、多くの人々を迎えているメンガーホテル。開業当初から変わらぬ味を提供するコロニアル・ルーム・レストラン、サンアントニオ最大の屋外プールなど、充実した施設とサービスで、宿泊客を魅了し続けています。
メンガーホテルは、単なるホテルではありません。テキサス州の歴史と文化を体現する、生きた証人なのです。その重厚な佇まいは、訪れる人々に、時代を超えた感動とロマンを与えてくれるでしょう。
ドリスキル(オースティン)
テキサス州オースティンのダウンタウンにそびえ立つ、風格あるドリスキルホテル(The Driskill)。1886年、富裕な牧場主であったジェシー・ドリスキル大佐によって建てられたこのホテルは、当時40万ドルという巨額を投じて建設され、テキサス州で最も壮麗なホテルの一つとして名を馳せていました。
ロマネスク様式を基調に、ビクトリア朝の繊細な装飾が施された建物は、今もなお当時の grandeur を保ち、訪れる人々を魅了しています。特に、大階段と、オーストリア製の金箔入り鏡が輝くマキシミリアン・ルームは、ホテルの象徴的な存在として知られています。
ドリスキルホテルは、開業以来、テキサス州の歴史と共に歩んできました。数々の州知事の就任舞踏会が開催され、1934年には、後の大統領となるリンドン・B・ジョンソンとレディ・バード・ジョンソン夫人が、このホテルで初めてのデートを楽しんだと言われています。
しかし、ドリスキルホテルは、華やかな歴史の裏に、もう一つの顔を持っています。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。アメリカで最も幽霊が出るホテルの一つとして知られ、多くの宿泊客やスタッフが、不思議な体験をしています。
ホテルの創設者であるジェシー・ドリスキル大佐自身も、幽霊としてホテル内を徘徊していると言われています。禁煙のホテルであるにもかかわらず、葉巻の煙の匂いが漂ってきたり、照明が勝手に点いたり消えたりするのは、大佐の仕業かもしれません。
また、1887年に大階段から落ちて亡くなった4歳の少女、サマンサ・ヒューストンの幽霊も有名です。彼女の笑い声や弾むボールの音が聞こえてきたり、5階にある彼女の肖像画の表情が変わったりするそうです。
さらに、31年間ホテルに住み続けた鉄道員ピーター・ローレスの幽霊は、エレベーターで目撃されることが多いと言います。彼は決まって時計を確認してから姿を消すそうです。
そして、525号室では、20年という時を隔てて、2人の花嫁が自殺するという悲しい事件が起こりました。彼女たちの霊は、今もこの部屋に留まっているのでしょうか。
その他にも、テキサス・カウボーイの幽霊や、勝手に動くエレベーター、説明のつかない物音や笑い声など、様々な心霊現象が報告されています。
これらの幽霊譚は、ホテルの歴史にさらなる深みを与え、多くの歴史ファンや超常現象愛好家を引きつけています。ホテル自身も、その歴史と幽霊伝説を積極的にアピールし、ゴーストツアーを開催するなど、独自の文化を築いています。
1960年代後半には、地域社会の尽力により、取り壊しの危機を免れたドリスキルホテル。歴史と文化、そして幽霊伝説が織りなす魅力は、時代を超えて、多くの人々を魅了し続けるでしょう。
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トーマス・ハウス・ホテル(テネシー州)
テネシー州の静かな町、レッド・ボイリング・スプリングス。そこに佇むトーマス・ハウス・ホテル(Thomas House Hotel)は、一見すると古き良き時代の面影を残す瀟洒な建物ですが、実は全米で最も幽霊が出るホテルの一つとして、その名を轟かせています。
1890年にコイド・ホテルというリゾート・スパとして誕生したこのホテルは、1924年の火災を経て、1927年に現在のトーマス・ハウス・ホテルとして再建されました。当時の富裕層やエリート層に人気の保養地でしたが、今ではCNNが選ぶ「米国で最も心霊スポット」の第2位にランクインするほどの、超常現象のホットスポットとなっています。
ホテルには、様々な幽霊が出ると言われています。1969年にホテルのプールで溺死した少年エドウィン、最初の所有者であるクロイド氏の娘サラ、そしてクロイド氏本人など、彼らの霊は今もなおホテル内を彷徨っているようです。宿泊客の中には、部屋の中で黒い人影を見たり、夜中にベッドが動いたり、廊下に不気味な声が聞こえたりするなど、数々の不可解な体験をしたと報告する人も少なくありません。
特に、37号室はサラの幽霊が出る部屋として有名で、多くの超常現象が報告されています。また、ホテル全体に冷たい場所があるというのも、霊の存在を示唆しているのかもしれません。
トーマス・ハウス・ホテルがこれほどまでに心霊スポットとして知られるようになった背景には、その歴史も関係していると考えられます。かつて、この地はネイティブ・アメリカンの小道が交差する場所で、ホテルは石灰岩の上に建てられています。その地下には湧き水が流れており、特殊なエネルギーが渦巻いているのかもしれません。
また、ホテルの歴史には、自殺、殺人、火災など、様々な悲劇的な出来事が刻まれています。一時期はカルト集団の拠点であったという噂もあり、こうした負のエネルギーが霊を引き寄せているとも考えられます。
現在、トーマス・ハウス・ホテルは一般客も宿泊できるホテルとして営業していますが、その一方で、「ゴーストハンティング・ウィークエンド」という、超常現象愛好家向けの特別なプランも提供しています。このプランには、食事、ドキュメンタリー映画鑑賞、そして夜のゴーストハンティングが含まれており、心霊現象を体験したい人にとっては、またとない機会となるでしょう。
豊かな歴史と数々の心霊現象が織りなすトーマス・ハウス・ホテルは、単なる宿泊施設を超えた、特別な場所と言えるでしょう。訪れる人々は、歴史の重みと、そこに潜む霊たちの存在を感じながら、忘れられない一夜を過ごすことができるでしょう。
ホテル・アレックス・ジョンソン(サウスダコタ州)
サウスダコタ州ラピッドシティの街中にそびえ立つホテル・アレックス・ジョンソン(Hotel Alex Johnson)。1928年に開業したこの歴史あるホテルは、チューダーリバイバル様式を基調とした重厚なレンガ造りの建物で、その風格は街のランドマークとなっています。
ホテル・アレックス・ジョンソンは、シカゴ・アンド・ノースウェスタン鉄道の副社長であったアレックス・カールトン・ジョンソンによって建設されました。興味深いことに、着工日はマウント・ラシュモアの建設開始の前日、1927年8月19日だったそうです。
このホテルは、サウスダコタ州で最も幽霊が出るホテルとしても知られています。宿泊客の中には、物体がひとりでに動いたり、鏡に人影が映ったり、足音や声が聞こえたりするなど、様々な超常現象を体験したと報告する人が後を絶ちません。
中でも有名なのは、「白衣の女性」と呼ばれる幽霊です。彼女は812号室に出没すると言われており、1970年代に窓から身を投げて自殺した花嫁の霊ではないかと言われています。宿泊客が8階で白いガウンを着た女性の姿を目撃したという報告も複数あります。
また、「見捨てられた花嫁」と呼ばれる別の若い花嫁の幽霊もいます。彼女は首を吊って自殺したと言われており、その話は事件現場の写真によって裏付けられているという噂です。
さらに、ホテルの創設者であるアレックス・ジョンソン自身も、幽霊としてホテル内を徘徊していると言われています。彼の幽霊は、304号室と305号室によく現れるそうです。
そして、8階でよく目撃され、声も聞かれる若い女性の霊は、不治の病で若くして亡くなったアレックス・ジョンソンの姪ではないかと信じられています。
ホテル・アレックス・ジョンソンは、こうした幽霊の噂によって、超常現象愛好家たちの間で大きな注目を集めています。ホテル側も、その評判を積極的に活用し、「ゴーストアドベンチャーパッケージ」という、超常現象体験に興味のある宿泊客向けのプランを提供しています。
2011年には、人気テレビ番組「ゴーストハンターズ」でもこのホテルが取り上げられ、その知名度はさらに高まりました。番組内では、宿泊客が就寝中に体に圧迫感を感じたり、誰もいないのにピアノが勝手に演奏されたりする様子が放送されました。
しかし、ホテル・アレックス・ジョンソンの魅力は、幽霊の噂だけではありません。西部とネイティブアメリカンのデザイン要素が融合した美しい内装、そして6人の米国大統領が宿泊した大統領スイートなど、歴史と文化を感じさせる空間も魅力です。
映画ファンにとっては、アルフレッド・ヒッチコック監督の傑作「北北西に進路を取れ」の撮影中に、アルフレッド・ヒッチコック監督自身や、ケイリー・グラント、エヴァ・マリー・セイントといった出演者がこのホテルに宿泊していたという事実も興味深いでしょう。
現在、ホテル・アレックス・ジョンソンは、ヒルトン・ホテルズ&リゾートの「キュリオ・コレクション」に属し、リブ・ホスピタリティ(Liv Hospitality)によって運営されています。2016年には700万ドルをかけた修復プロジェクトが実施され、歴史的な建物の保存にも力を入れています。
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ロード・バルティモア・ホテル(ボルチモア)
メリーランド州ボルチモアの中心にそびえ立つロード・バルティモア・ホテル(Lord Baltimore Hotel)。1928年に開業したこの壮麗な建物は、フランス・ルネサンス様式を基調とした建築で、当時、メリーランド州で最も高い建物として街のシンボル的存在でした。
しかし、このホテルは、その華やかな歴史と共に、暗い過去も背負っています。大恐慌時代には、20件以上の自殺が記録されており、それが原因で幽霊が出るという噂が広まりました。
中でも有名なのは、「モリー」と呼ばれる7歳の少女の幽霊です。ウォール街の株価暴落の後、両親と共に無理心中したと伝えられており、クリーム色のドレスと黒い靴を身に着け、赤いボールで遊んでいる姿が目撃されています。モリーの泣き声や笑い声がホテル中に響き渡るという話もあり、特に19階とボールルームで頻繁に目撃されています。
モリー以外にも、エレベーターが19階で謎の停止をしたり、見えない手に触られたような感覚を覚えたりするなど、様々な超常現象が報告されています。ペントハウスの一室には、子供の掌紋がしつこく残るという話もあります。
こうした幽霊の噂は、ホテル・ロード・バルティモアを心霊スポットとして有名にし、多くの超常現象愛好家を引きつけています。
ホテル自身も、その評判を積極的に活用し、超常現象研究家によるゴーストツアーを提供しています。ツアーでは、19階、隠れ家、ボールルーム、ペントハウスなど、ホテル内で特に心霊現象が起こりやすいとされる場所を巡ります。
しかし、ホテル・ロード・バルティモアの魅力は、幽霊の噂だけではありません。700室あった客室は改装を経て440室となり、モダンな設備を備えながらも、歴史的な雰囲気を色濃く残しています。
1958年には人種隔離政策を自主的に廃止し、1965年にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの記者会見を開催するなど、社会的な役割も担ってきました。
現在、ホテル・ロード・バルティモアは、ヒストリック・ホテル・オブ・アメリカ・プログラムのメンバーとして、歴史的建造物の保存にも力を入れています。2013年には大規模な改修工事が行われ、歴史的な魅力と現代的な快適さを兼ね備えたホテルとして、多くの人々に愛されています。
クリーム色のドレスを着た少女モリーは、今もなお、このホテルの象徴として、人々の記憶に残り続けています。
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ホテル・コングレス(アリゾナ州)
アリゾナ州ツーソンの中心部に位置するホテル・コングレス(Hotel Congress)。1918年に開業したこの歴史あるホテルは、ロサンゼルスの建築事務所ウィリアム&アレクサンダー・カーレットによって設計され、2003年には国家歴史登録財にも登録されました。
ホテル・コングレスは、1930年代の面影を色濃く残すクラシカルな佇まいで、ツーソンの歴史と共に歩んできました。しかし、このホテルを語る上で欠かせないのは、1934年に発生したある事件です。それは、当時アメリカを震撼させていた凶悪犯ジョン・デリンジャー一味が、このホテルに潜伏していた際に起きた火災事件です。
一味は火災の混乱に乗じて逃走しましたが、取り残された荷物から身元が判明し、これが彼らの逮捕につながる重要な手がかりとなりました。この事件は、ホテル・コングレスの名を全米に知らしめることとなり、現在でも「ディリンジャー・デイズ」というイベントで毎年この出来事を記念しています。
しかし、ホテル・コングレスには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。ツーソンで最も幽霊が出るホテルの一つとして知られており、これまで様々な幽霊が目撃されてきました。
214号室には窓の外を眺めている「ビクトリア朝の紳士」、242号室には白い服を着た女性、220号室にはナイフを動かす第二次世界大戦の退役軍人など、部屋ごとに個性的な幽霊が住み着いているようです。また、廊下で遊ぶ子供たちの幽霊や、従業員でもないのに掃除をしているメイドの幽霊なども目撃されています。
宿泊客の中には、ドアが勝手に開閉したり、就寝中に気配を感じたり、バターナイフがひとりでに動いたりするなど、奇妙な体験をした人も少なくありません。ホテル内には、冷たい場所や暗い影があり、ささやき声や奇妙な物音が聞こえることもあるそうです。
これらの心霊現象は、多くの超常現象研究家やテレビ番組の注目を集め、ホテル・コングレスはゴーストツアーの開催地としても人気を博しています。ホテルには、幽霊の目撃情報を記録したゲストブックもあり、宿泊客は自身の体験を書き残すことができます。
ホテル・コングレスは、歴史的な事件と心霊現象という、相反する二つの側面を持つホテルです。しかし、どちらもこのホテルの魅力であり、歴史ファンと超常現象愛好家の双方を惹きつけています。
現在もホテル、レストラン、音楽会場として営業を続けるホテル・コングレス。ツーソンで最も古いバーの一つである「タップルーム」では、デリンジャー逮捕に関連する品々も展示されており、歴史を感じながらお酒を楽しむことができます。
ホテル・コングレスは、単なる宿泊施設ではなく、ツーソンの歴史と文化を体感できる場所と言えるでしょう。
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ホテル・モンテレオーネ(ニューオーリンズ)
ニューオーリンズのフレンチ・クオーターの中心に佇むホテル・モンテレオーネ(Hotel Monteleone)。1886年、シチリア移民のアントニオ・モンテレオーネによって創業されたこのホテルは、1世紀以上の時を超えて、街の歴史と文化を静かに見守ってきました。
ボザール様式を基調とした優雅な建物は、フレンチ・クオーターで最も古いホテルとしての風格を漂わせています。創業以来、5世代にわたって家族経営を続けているというのも、このホテルの大きな特徴です。
ホテル・モンテレオーネは、単なる宿泊施設ではありません。多くの文豪たちに愛され、173以上の物語や小説に登場するなど、文学的なランドマークとしても重要な役割を果たしてきました。アーネスト・ヘミングウェイ、テネシー・ウィリアムズ、ウィリアム・フォークナーなど、そうそうたる作家たちがこのホテルを頻繁に訪れました。
しかし、ホテル・モンテレオーネには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。特に14階(実際には13階)は、様々な幽霊が目撃される場所として知られています。
最も有名なのは、1890年代にホテルで亡くなった幼児モーリス・ベジェの幽霊です。廊下で遊ぶ子供たちの幽霊や、かつてホテルで働いていた従業員の幽霊なども目撃されており、2003年には国際超常現象研究協会が12以上の霊の存在を確認したという報告もあります。
宿泊客の中には、エレベーターが呼び出してもいないのに14階で停止したり、説明のつかない気配を感じたりするなど、不思議な体験をした人も少なくありません。ホテル自身も、その評判を積極的に活用し、ゴーストツアーや超常現象体験を提供しています。
とはいえ、ホテル・モンテレオーネの魅力は、幽霊の噂だけではありません。ニューオーリンズ唯一の回転式バーである「カルーセル・バー&ラウンジ」は、街の景色を眺めながらお酒を楽しめる人気のスポットです。屋上プールからは、フレンチ・クオーターの美しい街並みを一望できます。
また、570室の客室は、2019年の改装を経て、歴史的な要素を保ちながらもモダンな快適さを備えています。映画『二重の危機』や『グローリー・ロード』など、多くの映画の舞台にもなったこのホテルは、ニューオーリンズの文化的なアイコンと言えるでしょう。
歴史、文学、そして幽霊伝説。これらが織りなす独特の魅力こそ、ホテル・モンテレオーネが長きにわたって愛され続ける理由と言えるでしょう。
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プフィスター・ホテル(ミルウォーキー)
ミルウォーキーのダウンタウンに位置するプフィスター・ホテル(The Pfister Hotel)は、1893年築の歴史と風格を兼ね備えた高級ホテルです。
その豪華な内装や質の高いサービスで知られていますが、同時に全米で最も幽霊が出るホテルの一つとしても有名です。特に、メジャーリーグベースボール(MLB)の選手たちの間では、このホテルでの奇妙な体験談が数多く語られています。
多くの選手が、テレビや電化製品の勝手なオンオフ、物体の移動、不気味な物音や気配など、説明のつかない現象を経験しています。
オークランド・アスレチックスのブレント・ローカー選手は、テレビが勝手にオンオフしたりチャンネルが変わったりしたと報告し、テキサス・レンジャーズのマイケル・ヤング選手は、鍵をかけたはずの部屋で足音が聞こえたと語っています。
さらに、ワシントン・ナショナルズのジャンカルロ・スタントン選手は、ホテルを「気味が悪い」と表現し、ディズニーランドのホーンテッド・マンションのようだと述べています。
その他にも、ブライス・ハーパー選手、カルロス・ゴメス選手、チ・マン・チェイ選手など、多くの選手が滞在中に奇妙な体験をしています。
これらの体験談は、選手たちの間で瞬く間に広まり、プフィスター・ホテルはMLB界における一種の伝説となりました。一部の選手は、ホテルに泊まることを拒否したり、部屋の変更を要求したりするほどです。
しかし、すべての選手が幽霊を恐れているわけではありません。ミネソタ・ツインズのパブロ・サンドバル選手のように、幽霊とコミュニケーションを取ろうとした選手もいます。
プフィスター・ホテルの幽霊騒ぎは、様々な憶測を呼んでいます。中には、ミルウォーキー・ブルワーズのファンが、ライバルチームの選手を動揺させるために、意図的に怪奇現象を演出しているのではないかという説もあります。
真偽は定かではありませんが、こうした噂話もまた、プフィスター・ホテルの魅力の一つとなっています。ホテル側も、幽霊が出るという評判を逆手に取り、MLBチームの宿泊を受け入れ続けています。
プフィスター・ホテルは、307室の客室とスイートルーム、フィットネスセンター、屋内プール、スパなどを備えた、まさに一流のホテルです。アメリカン・ファミリー・フィールド(ミルウォーキー・ブルワーズの本拠地)にも近く、多くのMLBチームが遠征時に利用しています。
幽霊の噂は、このホテルに独特の雰囲気を与え、多くの宿泊客を魅了しています。歴史と高級感、そして超常現象が融合したプフィスター・ホテルは、ミルウォーキーを訪れる人にとって、忘れられない滞在を提供してくれるでしょう。
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コンコード・コロニアル・イン(マサチューセッツ州)
マサチューセッツ州コンコードの静かな街並みに佇むコロニアル・イン(Concord’s Colonial Inn)。1716年に建てられたこの建物は、アメリカの歴史そのものを感じさせる、由緒あるホテルです。独立戦争の舞台となったノースブリッジからもほど近く、当時の息吹が今も感じられる場所です。
コロニアル・インは、当初は3つの建物に分かれていましたが、1897年に統合され、その後も増築を重ねて現在の姿となりました。長い歴史の中で、様々な人々がこのホテルを訪れ、様々な出来事が起こりました。
独立戦争中は、ホテルの一部が民兵の武器庫として使用され、また、東側部分は負傷した兵士たちの治療所として使われました。その際に治療にあたったティモシー・ミノット・ジュニア医師の霊が、今もホテル内を彷徨っているという噂があります。
特に、かつて手術室だった24号室は、ホテルで最も心霊現象が報告されている部屋です。「灰色の人物」や影のような物体が目撃されたり、照明や電化製品が勝手に操作されたりするだけでなく、見えない力にベッドに押し付けられたと感じる宿泊客もいるそうです。中には、ローズマリーという名の看護婦や負傷した兵士の幻影を見たという人もいます。
24号室以外にも、リビングルームではヘンリー・デイビッド・ソローとその叔母の霊が目撃され、フロントデスク付近ではボンネットをかぶった少女の幽霊が現れると言われています。リバティ・ルームでは、コロニアル時代の服装をした霊が目撃されるなど、ホテル全体で様々な心霊現象が報告されています。
これらの幽霊譚は、宿泊客の間で語り継がれ、コロニアル・インは「呪われたホテル」として知られるようになりました。ホテル側も、その評判を積極的に活用し、ゴーストツアーを開催しています。特に24号室は人気が高く、恐怖体験を求めて多くの観光客が訪れます。
しかし、コロニアル・インの魅力は、幽霊の噂だけではありません。ホテル内には、歴史を感じさせる重厚な内装の客室や、当時を偲ばせるアンティーク家具が置かれたラウンジなど、魅力的な空間が広がっています。
また、「ザ・リバティ」や「フォージ・タバーン」といった複数のレストランでは、地元の食材を使った美味しい料理を楽しむことができます。宿泊客は、歴史的な雰囲気の中で、ゆったりとくつろぎながら、食事を楽しむことができます。
コロニアル・インは、2005年から「Historic Hotels of America」のメンバーにも選ばれ、その歴史的価値と文化的意義が高く評価されています。2016年には300周年を迎え、コンコードの歴史と文化を象徴する存在として、今も多くの人々に愛されています。
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レッド・ライオン・イン(マサチューセッツ州)
マサチューセッツ州ストックブリッジに佇むレッド・ライオン・イン(The Red Lion Inn)。1700年代後半に建てられたこの由緒ある建物は、何世代にもわたって地域の人々に愛されてきました。アメリカ独立戦争の時代から続くその歴史は、このホテルに独特の風格を与えています。
4階建ての建物には、108室以上の客室があり、その多くには植民地時代からのアンティーク家具が置かれています。宿泊客は、まるでタイムスリップしたかのような感覚を味わいながら、ゆったりとくつろぐことができます。
しかし、レッドライオンインには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。特に4階は幽霊が出ると噂されており、宿泊客やスタッフから多くの目撃情報が寄せられています。
シルクハットをかぶった男性、花束を持った少女、7歳くらいの少年と乳母など、様々な幽霊が目撃されています。また、見えない力にシーツを引っ張られたり、物がひとりでに動いたり、ドアが原因不明のきしみ音を発したりするなど、奇妙な現象も報告されています。
中でも301号室は、特に心霊現象が起こりやすい部屋として知られています。宿泊客の中には、ベッドの足元に誰かが立っているような感覚で目が覚めたという人もいるそうです。
これらの幽霊譚は、レッドライオンインの評判を高め、多くの観光客を惹きつけています。ホテル側も、その評判を積極的に活用し、「超常現象ウィークエンド」というイベントを開催しています。
しかし、総支配人のサイモン・デュワー氏によると、これまで報告された心霊現象はすべて「友好的」なものだったそうです。幽霊たちは、宿泊客を脅かすのではなく、ただ静かに見守っているのかもしれません。
実際、幽霊の噂を聞いても、宿泊をためらう人は少ないようです。むしろ、幽霊との遭遇を期待して訪れる人もいるほどです。紅葉の季節には、ボストンやオルバニーなど、遠方からも多くの観光客が訪れます。
レッドライオンインは、歴史的な魅力と心霊スポットとしての魅力を併せ持つ、ユニークなホテルです。宿泊客は、歴史を感じさせる空間の中で、非日常的な体験を楽しむことができるでしょう。
幽霊の噂は、レッドライオンインの個性となっています。ホテル側も、その評判をオープンに受け入れ、宿泊客に特別な体験を提供しています。歴史と超常現象が織りなす不思議な魅力こそ、レッドライオンインが長きにわたって愛され続ける理由と言えるでしょう。
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エミリー・モーガン・ホテル(サンアントニオ)
サンアントニオの中心部に位置するエミリー・モーガン・ホテル(Emily Morgan Hotel)。1924年にメディカル・アーツ・ビルとして建設されたこの建物は、かつて医師のオフィスや病院として利用されていましたが、1984年にホテルへと生まれ変わりました。
ネオゴシック様式で設計された13階建ての建物は、外壁に施されたガーゴイルや、ニューヨークのフラットアイアンビルを彷彿とさせる三角形の形状など、独特の建築様式が特徴です。1928年まではサンアントニオで最も高い建物であり、街のランドマークとして存在感を放っていました。
しかし、エミリー・モーガン・ホテルは、その美しい外観だけでなく、「幽霊が出るホテル」としても有名です。かつて医療施設だったという歴史が、その原因ではないかと考えられています。地下には死体安置所や火葬場があったそうで、宿泊客の中には幽霊を目撃したり、説明のつかない物音を聞いたりする人も少なくありません。
中でも有名なのは、テキサス革命の英雄、エミリー・ウェストの幽霊です。彼女の名前はホテル名にも冠されており、その存在はホテルの歴史と深く結びついています。
現在、エミリー・モーガン・ホテルはダブルツリー・バイ・ヒルトン・ホテルとして運営されており、177室の客室と24室のスイートルームを備えています。14階には、街を一望できるシャンパン・ホットタブ付きのスイートルームもあり、贅沢なひとときを過ごすことができます。
2012年には500万ドルをかけた大規模な改装工事が行われましたが、建物の外観はそのまま残されました。91年の時を経て、65度の急傾斜の銅屋根も葺き替えられ、歴史的な建造物としての価値を維持しながら、現代的な快適さを実現しています。
エミリー・モーガン・ホテルは、幽霊が出るという評判から、多くの幽霊ハンターや超常現象の専門家を引きつけています。ホテル側も、宿泊客に幽霊を目撃した際には報告するよう促しており、その姿勢は、歴史と超常現象の両方に興味を持つ人々にとって魅力的です。
アラモのすぐ近くに位置するエミリー・モーガン・ホテルは、「アラモのオフィシャルホテル」としても知られています。アラモ広場歴史地区の一部として、国家歴史登録財にも登録されており、サンアントニオの歴史と文化を体感できる場所となっています。
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オムニ・ショアハム・ホテル(ワシントンD.C.)
ワシントンD.C.の高級住宅街、ウッドリーパークに堂々と佇むオムニ・ショアハム・ホテル(Omni Shoreham Hotel)。1930年に開業したこのホテルは、アールデコとルネサンスリバイバル様式が融合した美しい建築で、834室もの客室とスイートルームを擁する壮大なスケールを誇ります。
しかし、オムニ・ショアハム・ホテルは、単なる豪華なホテルではありません。歴代大統領の就任舞踏会が開催されたり、数々の著名人や政治家が宿泊したりと、アメリカの歴史と深く関わってきたホテルなのです。
フランクリン・D・ルーズベルトからバラク・オバマまで、多くの歴代大統領がこのホテルで華やかな夜を過ごしました。ハリー・トルーマンやジョン・F・ケネディも、このホテルを頻繁に利用していたそうです。
第二次世界大戦中には、フィリピン大統領マニュエル・ケソン氏の公邸として使用され、1964年にはビートルズがアメリカツアー中に7階全体を貸し切ったというエピソードも残っています。
このように、華やかな歴史を持つオムニ・ショアハム・ホテルですが、同時に「幽霊が出るホテル」としても知られています。特に、スイート870は「ゴースト・スイート」と呼ばれ、多くの超常現象が報告されています。
このスイートでは、開業当初にハウスキーパーのジュリエット・ブラウンが謎の死を遂げ、その後もホテルオーナーのヘンリー・ドハーティー一家が不可解な死を遂げるなど、不幸な出来事が相次ぎました。
宿泊客の中には、午前4時頃に原因不明の物音を聞いたり、ドアが勝手に閉まったり、家具が動いたりするのを目撃したという人もいます。また、冷たい場所や暗い影を感じたり、幽霊のような幻影を見たりしたという報告もあります。
これらの心霊現象は、オムニ・ショアハム・ホテルのミステリアスな魅力を高め、多くの観光客を惹きつけています。ホテル側も、その評判を積極的に活用し、ゴーストツアーや超常現象体験を提供しています。
しかし、オムニ・ショアハム・ホテルの魅力は、幽霊の噂だけではありません。アーバンリゾートスタイルのプールや庭園、最新のフィットネスセンター、そして複数のレストランなど、充実した施設を備えています。
ワシントンD.C.の主要な観光スポットにも近く、観光の拠点としても最適です。1983年にはオムニホテルズに買収され、2012年には700万ドルをかけた改装工事が行われました。
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1886 クレセント・ホテル(アーカンソー州)
アーカンソー州ユリイカスプリングスの高台に、荘厳な姿で佇むクレセントホテル(1886 Crescent Hotel)。1886年の開業以来、「オザークのグランド・オール・レディ」と称され、多くの人々を魅了してきた歴史あるホテルです。
19世紀末、ユリイカスプリングスは「治癒効果のある温泉」で知られ、多くの観光客が訪れていました。クレセントホテルは、そんな温泉街に建てられた高級リゾートホテルとして、当時としては破格の29万4000ドルもの巨額を投じて建設されました。
設計を手掛けたのは、建築家アイザック・S・テイラー。近隣の採石場から切り出された石灰岩を用い、厚さ18インチもの頑丈な壁を持つビクトリア様式の建物を完成させました。
しかし、クレセントホテルは、単なる高級ホテルではありませんでした。開業からわずか20年ほどでホテルとしての営業を終了し、その後は女子校、病院、そして再びホテルへと、その役割を変化させてきたのです。
1908年から1924年までは、クレセント・カレッジおよび若い女性のための音楽学校として、また1930年から1934年にも再び学校として使用されました。その後、1937年から1940年にかけては、ノーマン・ベイカー医師が経営する癌専門病院となり、多くの患者を受け入れていました。
そして1946年、クレセントホテルは再びホテルとして開業し、現在に至ります。その間、ホテルは様々な歴史を刻み、多くの人の人生に関わってきました。そして、それらの記憶は、今もなおホテルに残されているのかもしれません。
クレセントホテルは、「世界で最も幽霊が出るホテルの一つ」としても知られています。特に218号室は、超常現象が起こりやすい部屋として有名で、宿泊客の中には幽霊を目撃したという人も少なくありません。
石投げ名人のマイケル、ダイニングルームに現れるビクトリア朝の服装の男性、キッチンにいた「ポップボトル」眼鏡の少年など、様々な幽霊が目撃されています。また、説明のつかない物音や、ひとりでに動く物体なども報告されています。
こうした幽霊の噂は、クレセントホテルのミステリアスな魅力を高め、ゴーストツアーはホテルの人気アトラクションとなっています。
1997年にマーティ・ローニゲック氏とエリス・ローニゲック氏がホテルを購入してからは、大規模な改修工事が行われ、かつての豪華さが蘇りました。2019年には、ノーマン・ベイカー医師が癌治療に使用していたという大量のボトルが発見され、ホテルの歴史に新たな光が当てられました。
現在、クレセントホテルは76室の客室とスイートルーム、スパ、フィットネスセンター、レストランなどを備えた、快適なホテルとして営業しています。ユリイカ・スプリングスを見下ろす丘の上に位置し、美しいオザーク山脈に囲まれた環境も魅力です。
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シャトー・マーモント(ウエスト・ハリウッド)
ハリウッドのサンセット大通りに佇むシャトー・マーモント(Chateau Marmont)。1929年に建設されたこのゴシック様式のホテルは、フランスのロワール渓谷にある古城をモデルに建てられ、その優雅な佇まいは、多くのハリウッドスターや業界エリートを魅了してきました。
マリリン・モンロー、ハワード・ヒューズ、ボリス・カーロフ、ジム・モリソンなど、錚々たるスターたちが、このホテルで華やかな時を過ごしました。「常に開いており、常に安全な避難場所である」というモットーの通り、プライバシーが重視された空間は、彼らにとって格好の隠れ家だったのです。
しかし、シャトー・マーモントは、華やかなハリウッドの歴史と共に、暗い影も抱えています。1982年、コメディアンのジョン・ベルーシが、このホテルのバンガロー3で薬物の過剰摂取により33歳の若さで亡くなりました。この事件は、ホテルの評判に大きな影を落とすと同時に、心霊現象の噂に拍車をかけることとなりました。
ベルーシの死後、ホテルでは奇妙な出来事が頻発するようになったと言われています。家具がひとりでに動いたり、奇妙な物音がしたり、誰かに見られているような感覚を覚える宿泊客が続出しました。特に、ベルーシが亡くなったバンガロー3では、幽霊の目撃情報が相次いでいます。
1999年には、バンガロー3に滞在していた家族が、2歳の息子が「面白い男」と笑いながら話しているのを目撃しました。後にその子供は、写真を見て「面白い男」がジョン・ベルーシだと特定したそうです。
その他にも、ハワード・ヒューズがバルコニーからプールを覗いていたという噂のある64号室や、最も心霊現象が起こりやすいと言われる79号室など、ホテルには複数の心霊スポットが存在します。
マリリン・モンロー、ハワード・ヒューズ、ジム・モリソンなど、かつてこのホテルに滞在したスターたちの幽霊が目撃されたという話もあります。
シャトー・マーモントの幽霊譚は、数多くの心霊ツアーや超常現象調査で取り上げられ、人気テレビ番組『アメリカン・ホラー・ストーリー』など、様々なメディア作品にも影響を与えています。
ホテルは一般公開されておらず、宿泊客や特別な招待客しか入ることができません。その閉鎖的な雰囲気が、さらにミステリアスなイメージを掻き立てているのかもしれません。
シャロン・テートが悲劇的な殺害事件の前に新婚旅行で滞在していたことや、ナタリー・ウッドが監督のニコラス・レイと不倫関係にあったとされることなど、スキャンダラスな噂も、このホテルの魅力の一つとなっています。
最近でも、女優のアンジェラ・バセットが原因不明の部屋の片付けを経験したり、ドアーズを研究する研究者が幻のパーティーの音を聞いたりするなど、心霊現象は続いています。
ハリウッドの歴史とセレブのゴシップ、そして数々の心霊現象。シャトー・マーモントは、まさにハリウッドの光と影を体現するホテルと言えるでしょう。
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ランガム・ホテル(ロンドン)
ロンドンの華やかなウェストエンドに位置するランガム・ホテル(The Langham Hotel)。1865年の開業以来、ヨーロッパ初のグランドホテルとして、その名を世界に轟かせてきました。
ビクトリア様式で建てられた壮麗な建物は、当時としては最新鋭の設備を誇り、100の水洗トイレ、36の浴室、そして英国初の油圧式エレベーターを備えていました。1879年には、エントランスと中庭に電気照明を導入するなど、常に時代の先端を走ってきました。
開業当初から、ランガム・ホテルは多くの著名人を魅了してきました。チャールズ皇太子(後の英国王太子)をはじめとする王族、マーク・トウェイン、オスカー・ワイルド、ナポレオン3世、アーサー・コナン・ドイル、ウィンストン・チャーチル、シャルル・ド・ゴール、ダイアナ妃など、錚々たる顔ぶれが名を連ねています。
アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズの物語に登場したり、オスカー・ワイルドとアーサー・コナン・ドイルの初対面の場となったり、ジェームズ・ボンド映画『ゴールデンアイ』の舞台となったりと、ランガム・ホテルは文化的な面でも重要な役割を果たしてきました。
しかし、華やかな歴史の裏側には、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。少なくとも5体の幽霊が定期的に目撃されていると言われており、中でも333号室は最も幽霊が出ると噂されています。
自殺したドイツの王子、妻を殺害した後に自殺した医師、皇帝ナポレオン3世、顔に傷のある男、そして廊下を歩き回る執事など、様々な幽霊が目撃されています。
ランガム・ホテルは、歴史の中で幾度かの試練も経験してきました。不況や所有者の変更、第二次世界大戦中の爆撃による損傷など、様々な困難を乗り越えてきました。1965年から1986年まではBBCに所有され、ホテルとしての営業を中断していた時期もありました。
しかし、1991年、1億ポンドをかけた大規模な改装工事を経て、ランガム・ヒルトンとして再オープン。その後も改装を重ね、現在では380室の客室とスイート、複数のレストランとバー、スパ、ウェルネス施設、そして15の多目的ルームを備えた、世界最高峰のホテルとして、その地位を確立しています。
1865年から続く伝統のアフタヌーンティーを提供する「パームコート」、カクテルバー「アルテジアン」、そして2024年にオープンしたばかりのレストラン「ミモザ」など、魅力的な施設も充実しています。
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ホテル・モンテ・ビスタ(アリゾナ州)
アリゾナ州フラッグスタッフの旧ルート66沿いに佇むホテル・モンテ・ビスタ(Hotel Monte Vista)。1927年の元旦に開業したこの歴史あるホテルは、公共資金で建設されたという珍しい経緯を持ち、アメリカの歴史と共に歩んできました。
開業当初はコミュニティホテルという名前でしたが、12歳の少年が優勝した名称コンテストの結果、「山の眺め」を意味するモンテビスタと改名されました。
ホテル・モンテビスタは、1960年代初頭に個人に売却されるまで、アメリカ史上最も長く一般所有された商業ホテルでした。その歴史の中で、禁酒法時代には密造酒場として営業していた時期や、スロットマシンを提供していた時期もありました。1970年代には、銀行強盗が死亡する事件も発生しています。
ホテル・モンテビスタは、多くの著名人が宿泊したことでも知られています。ジョン・ウェイン、ジェーン・ラッセル、ゲイリー・クーパー、スペンサー・トレイシー、ビング・クロスビー、ハンフリー・ボガートなど、往年のハリウッドスターたちが名を連ねています。
中でもジョン・ウェインは、1950年代後半にこのホテルで幽霊を目撃したと報告しています。305号室のロッキングチェアがひとりでに動いたという彼の体験談は、ホテル・モンテビスタの心霊スポットとしての評判を高めるきっかけとなりました。
305号室以外にも、306号室で殺害された2人の娼婦の霊や、「ルームサービス」と告げてドアをノックする幽霊のベルボーイ、ラウンジで死亡した銀行強盗の霊、地下で泣く赤ん坊など、様々な幽霊が目撃されています。
これらの心霊現象は、ホテル・モンテビスタのミステリアスな魅力を高め、多くの観光客を惹きつけています。ホテル側も、その評判を積極的に活用し、ゴーストツアーを開催しています。
しかし、ホテル・モンテビスタの魅力は、幽霊の噂だけではありません。2階建てのバー&ラウンジは、当時の面影を残すレトロな空間で、宿泊客に人気の場所となっています。また、このホテルは、女性が司会を務めたアメリカ初のラジオ番組が放送された場所でもあります。
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コングレス・プラザ・ホテル(シカゴ)
シカゴのダウンタウン、ミシガン・アベニューに面してそびえ立つコングレス・プラザ・ホテル(Congress Plaza Hotel)。1893年、コロンブス世界博覧会の開催に合わせてオープンしたこのホテルは、当初はオーディトリウム・アネックスという名前で、以来、シカゴの歴史と共に歩んできました。
国家歴史登録財にも指定されているこのホテルは、2つのタワーから成り立っています。ノースタワーはクリントン・ウォーレンの設計によるもので、サウスタワーはホラバード&ロシュによって後に増築されました。
コングレスプラザホテルは、単なる宿泊施設ではありません。アメリカ初の空調設備を備えたホテル・ボールルームであるゴールドルーム、社交イベントに使われたフィレンツェの間、エリザベス朝の間、ポンペイの間など、豪華な空間を備え、様々なイベントや集会が開催されてきました。
「大統領の家」という愛称を持つこのホテルには、グローバー・クリーブランド、セオドア・ルーズベルト、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルトなど、多くの歴代大統領が宿泊しています。セオドア・ルーズベルトは、1912年にこのホテルのフィレンツェ・ボールルームで「ブル・ムース」政策を発表したことでも知られています。
また、ベニー・グッドマンがホテルのアーバンルームからラジオ番組を放送したり、アル・カポネが毎週金曜の夜にカードゲームをしていたという逸話も残っています。
しかし、コングレスプラザホテルには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。シカゴで最も幽霊が出る建物の一つと言われ、特にノースタワーの12階は心霊スポットとして有名です。
1939年に13階の窓から息子たちと共に身を投げたアデル・ランガーの幽霊をはじめ、様々な幽霊が目撃されています。その他にも、説明のつかない物音や現象が報告されており、あまりにも心霊現象がひどいため、一部の部屋は賃貸できないという噂もあります。
これらの心霊現象は、スティーブン・キングの短編小説「1408」のインスピレーションになったとも言われています。
コングレスプラザホテルは、歴史的な建造物としてだけでなく、心霊スポットとしても多くの観光客を惹きつけています。様々な心霊ツアーや超常現象調査の対象となり、その幽霊譚はホテルの魅力の一つとなっています。
2003年から数年間は大規模なストライキに見舞われましたが、現在はニューヨークの投資会社による合弁事業が所有し、871室の客室とスイートルームを備えた、シカゴを代表するホテルとして、多くの人々に愛されています。
チリンガム城(イギリス)
イングランド北東部、ノーサンバーランド州の緑豊かな丘陵地帯に、威風堂々とそびえ立つチリンガム城(Chillingham Castle)。12世紀に建てられたこの古城は、800年近い歴史の中で、数々の戦乱や王室の訪問、そして多くの幽霊譚を生み出してきました。
チリンガム城は、1344年に完全な城塞となり、以来、驚くべきことに同じ一族によって所有され続けています。イングランドとスコットランドの国境紛争の際には、重要な戦略拠点として活躍し、エドワード1世やジェームズ1世、チャールズ1世など、多くの王族がその門をくぐりました。
第二次世界大戦中は軍の兵舎として使用されるなど、時代の変遷と共にその役割を変えながらも、チリンガム城は常に歴史の舞台に立ち続けてきました。
中世の建築様式にチューダー朝時代のギャラリーが加えられた建物は、18世紀には造園家ケイパビリティ・ブラウンによって庭園が整備され、さらに美しい景観となりました。城の敷地内には、珍しいチリンガム種の牛が飼育されている囲いのある公園もあり、自然豊かな環境を楽しむことができます。
しかし、チリンガム城は、その美しい景観だけでなく、「イングランドで最も幽霊が出る城」としても知られています。多くの幽霊が目撃され、様々な超常現象が報告されているのです。
ピンクの部屋で目撃される「輝く少年」または「青い少年」と呼ばれる子供の幽霊は、青い閃光と共に現れると言われています。グレイ卿の妻であるレディ・バークレーは、城に置き去りにされたという悲しい過去を持ち、廊下でガサガサと動くドレスの音が聞こえるそうです。
また、残忍な拷問官だったと伝えられるジョン・セイジの幽霊もいますが、彼の存在については議論の余地があります。
チリンガム城では、子供たちが走り回る音や泣き叫ぶ声、冷たい場所、ひとりでに動く物体、幻影や影など、様々な超常現象が報告されています。中には、見られているような感覚や触れられているような感覚を覚える人もいるそうです。
これらの心霊現象は、多くのテレビ番組や書籍で取り上げられ、チリンガム城は幽霊ハンターや観光客にとって人気のスポットとなっています。城では、幽霊ツアーや超常現象体験なども提供しており、恐怖と興奮を求める人々を魅了しています。
1982年にサー・ハンフリー・ウェイクフィールドが城を購入してからは、大規模な修復が行われ、現在では観光名所およびホテルとして運営されています。
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ユニオン・ステーション・ホテル(ナッシュビル)
ナッシュビルの街の中心に、堂々と佇むユニオン・ステーション・ホテル(Union Station Hotel)。1900年にルイビル・アンド・ナッシュビル鉄道の駅として建設されたこの建物は、かつては多くの人々が行き交う交通の要衝でした。
リチャードソン・ロマネスク様式とゴシック様式が融合した美しい建築は、当時の人々を圧倒したに違いありません。高さ65フィートの樽型ヴォールト天井を持つロビーは、金箔メダイヨンやオリジナルのティファニー様式ステンドグラスで装飾され、豪華絢爛な空間が広がっています。
大理石の床、オーク材のアクセントドアと壁、そして3つの石灰岩の暖炉など、細部にまでこだわったデザインは、今もなお訪れる人々を魅了しています。
駅舎時代には、第二次世界大戦中に軍人たちの主要な中継地点として利用されたり、悪名高いギャング、アル・カポネが連邦刑務所に移送される際に通過したりと、様々な歴史的瞬間に立ち会ってきました。
ハリウッド女優のメイ・ウエストなど、多くの著名人もこの駅を利用したそうです。
1979年に列車運行が廃止された後、1986年に大規模な改修工事を経て、ユニオンステーションホテルは新たな命を吹き込まれました。
現在では、ユニオン・ステーション・ナッシュビル・ヤーズという名前で、モダンな設備を備えた高級ブティックホテルとして、多くの人々を迎えています。
しかし、このホテルには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。711号室には、アビゲイルという名の幽霊が出るという噂があります。
アビゲイルは、第二次世界大戦に出征したまま戻らなかった恋人の兵士を探し続けていると言われています。711号室は、1940年代のヴィンテージスタイルで装飾されており、アビゲイルが過ごした時代を感じることができます。
かつて駅舎のオフィスだった部屋は、中二階に沿って並んでおり、大きな窓からロビーを見下ろすことができます。
ユニオンステーションホテルは、ナッシュビルの歴史を語る上で欠かせない存在です。様々なドキュメンタリー番組で紹介され、歴史的建造物としての価値と、高級ホテルとしての魅力、そして幽霊譚が織りなす独特の雰囲気は、多くの観光客を惹きつけています。
かつてロビーにはワニのいるプールがあったという話や、タワーに設置されたデジタル時計がうまく作動しなかったというエピソードなど、興味深い逸話も残っています。
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メイフラワー・ホテル(ワシントンD.C.)
ワシントンD.C.の中心部に位置するメイフラワーホテル(The Mayflower Hotel)。1925年の開業以来、「ワシントンの貴婦人」と称され、街の象徴として多くの人々に愛されてきました。
国家歴史登録財にも指定されているこのホテルは、ニューヨークの有名ホテルを設計したウォーレン&ウェットモアの手によるもので、壮大なロビーや豪華な客室が特徴です。
メイフラワーホテルは、歴代大統領とも深い関わりを持っています。カルビン・クーリッジからロナルド・レーガンまで、多くの大統領就任舞踏会がここで開催されました。フランクリン・D・ルーズベルトは、有名な「四つの自由」演説をこのホテルの776号室で執筆したと言われています。
J・エドガー・フーバーFBI長官が定期的に昼食をとったり、チャールズ・カーティス副大統領が滞在していたりと、多くの著名人や政治家にも愛されてきました。
しかし、メイフラワーホテルには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。カルビン・クーリッジ大統領の幽霊が出るという噂は、多くの人々の間で囁かれています。
クーリッジ大統領は、息子の死を悼んで、1925年の自身の就任舞踏会を欠席しました。その悲しみが、幽霊となってホテルに残っているのかもしれません。
毎年1月20日の就任式当日には、グランドボールルームの照明が明滅したり、原因不明のオードブルやワインの皿が発見されたりするそうです。あるエレベーターが8階にとどまったまま動かなくなるという現象も報告されています。
これらの奇妙な現象は、クーリッジ大統領の幽霊の仕業なのでしょうか。真偽のほどは定かではありませんが、幽霊譚はメイフラワーホテルのミステリアスな魅力を高め、多くの人々を惹きつけています。
メイフラワーホテルは、歴史的な建造物としてだけでなく、心霊スポットとしても注目されています。多くの書籍や記事で紹介され、政治スキャンダルや歴史的出来事に関する議論の場としても度々登場します。
現在、メイフラワーホテルはマリオット・インターナショナルの系列会社であるオートグラフ・コレクション・ホテルズによって運営されています。近年、700万ドルをかけた修復プロジェクトが実施され、歴史的な魅力を保ちながらも、現代的な快適さを提供しています。
「エドガー・バー&キッチン」をはじめとする複数のレストランやバー、そして豪華な宿泊施設とイベントスペースは、今も多くの人々に利用されています。
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ブラウン・パレス・ホテル(デンバー)
デンバーのダウンタウンに堂々とそびえ立つ、ブラウン・パレス・ホテル(The Brown Palace Hotel)。1892年の開業以来、その優雅な姿は街のシンボルとして、多くの人々を魅了してきました。
イタリア・ルネサンス様式で設計されたこのホテルは、当時としては驚くべき160万ドルの建設費と40万ドルの内装費をかけて建てられました。コロラドレッド花崗岩とアリゾナ砂岩で造られた外壁には、コロラドの動物を描いた26のメダイヨンが装飾され、その壮麗さは見る者を圧倒します。
ホテル内部には、8階まで吹き抜けのアトリウムロビーがあり、周囲をバルコニーが囲んでいます。木材を一切使用していないため、アメリカ初の耐火建築物の一つとしても知られています。
開業当初は400室あった客室は、現在は241室に減りましたが、当時と同じように、各部屋には暖炉が備え付けられています。ロビーには12,000平方フィートものメキシコ産オニキスパネルが使用され、8階建てのアトリウムの天井はステンドグラスと天窓で飾られています。
ブラウン・パレス・ホテルは、その歴史の中で、数々の著名人を迎え入れてきました。1905年のセオドア・ルーズベルト以来、ほぼすべての歴代大統領が宿泊しており、「大統領のホテル」とも呼ばれています。
アンドリュー・カーネギー、トーマス・エジソン、チャールズ・リンドバーグなど、各界の著名人もこのホテルに滞在しました。ビートルズが初のアメリカツアー中に宿泊したというのも有名な話です。
しかし、ブラウン・パレス・ホテルには、もう一つの顔があります。それは、「幽霊が出るホテル」としての顔です。入口付近に現れる車掌姿の男、サービス用エレベーターのそばに立つウェイター、ボイラー室で泣いていた赤ん坊など、様々な幽霊が目撃されています。
これらの幽霊譚は、ホテルの歴史に彩りを添え、多くの観光客を惹きつけています。ホテルでは歴史ツアーも開催しており、宿泊客はホテルの歴史や幽霊譚について学ぶことができます。
ブラウン・パレス・ホテルは、歴史的建造物としてだけでなく、デンバーの文化的なシンボルとしても重要な役割を果たしています。ホテルの歴史は、数々の書籍や記事で紹介され、多くの人々に愛されています。
近年では、マリオット・インターナショナルのオートグラフ・コレクションに加盟し、現代的な設備を備えながらも、歴史的な特徴を維持することに力を入れています。
クイーン・メアリー号のラウンジをモデルにしたアールデコ調のバー「クルーズ・ルーム」や、「ドン・ペリニヨン」の日曜ブランチで知られるレストラン「エリントン」、禁酒法廃止後にオープンした「シップ・タバーン」など、魅力的な施設も充実しています。
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まとめ
世界には、歴史と伝統を誇る格式高いホテルが数多く存在します。しかし、その中には、華やかな顔の裏に、もう一つの顔、すなわち「幽霊が出るホテル」としての顔を持つホテルが存在するのです。
この記事では、「幽霊と過ごす一夜」をテーマに、世界で最も幽霊が出るホテル25選をご紹介しました。
コロラド州のスタンレーホテル、サンディエゴのホテル・デル・コロナド、ロサンゼルスのハリウッド・ルーズベルト、ニューオーリンズのバーボン・オーリンズ・ホテルなど、アメリカ各地のホテルはもちろん、イギリスのチリンガム城やロンドンのランガム・ホテルなど、ヨーロッパの歴史あるホテルもランクインしています。
これらのホテルは、いずれも豪華な内装や充実した設備を誇る、一流のホテルばかりです。しかし、同時に、多くの幽霊が目撃されたり、奇妙な現象が起きたりする場所としても知られています。
例えば、スタンレーホテルでは、創業者の幽霊や、ピアノを弾く幽霊が目撃されています。ホテル・デル・コロナドでは、かつて宿泊していた女性の幽霊が出ると言われています。
ハリウッド・ルーズベルトには、マリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトなど、多くのハリウッドスターの幽霊が出ると噂されています。
ニューオーリンズのバーボン・オーリンズ・ホテルは、かつて修道院だったこともあり、修道女や子供たちの幽霊が目撃されています。
イギリスのチリンガム城では、「青い少年」と呼ばれる幽霊や、グレイ卿の妻の幽霊が目撃されています。ロンドンのランガム・ホテルでは、自殺したドイツの王子の幽霊や、ナポレオン3世の幽霊が出ると言われています。
これらのホテルに共通するのは、長い歴史の中で、様々な人間ドラマが繰り広げられてきたということです。そして、その記憶が、幽霊となって現代に蘇っているのかもしれません。
幽霊の存在を信じるか信じないかは、人それぞれです。しかし、これらのホテルに宿泊すれば、きっと忘れられない一夜を過ごすことができるでしょう。
あなたは、幽霊と過ごす一夜を体験してみたいですか?